諦めたふりして重たい蓋してきたけど多分ずっと格好良くなりたくて仕方なかったんだ
手遅れなガチャ歯に溶けかけた輪郭の呪われし容姿の不細工だけど、格好良くなりたい。
芸能人を見ては生まれつき人生イージーモードで良かったですねと僻み
アイドルがデビューしては、言うてもよく見たらそうでもなくない?束売り二足三文やんと負け惜しみばかり言ってきたように思える
林先生も僕がジャニーズに入ろうとして努力をすれば入れると思いますか?人は適正の無い努力をしても意味はないというようなことを言っていたから。
不細工はその言葉に救われた。めでたしめでたし、のように思えたが、それも長くは続かなかった。
じゃあ他の努力ができてきたかと自らを振り返ってみても何の努力も見つからなかったからだ。
学歴も無ければ、人気も実績もカリスマ性も無い。
うだつの上がらない日々を送る、そんな時に容姿を売りにしないソロバンドのアーティストに少しはまった。
メジャーデビュー作のPVはYouTubeで話題になり幅広い層が楽しめるだけでなくどこかサブカル好きの琴線に触れ、出オチでは終わらないなとサブカル素人の考察欲を刺激するには充分なものであった。
その後も順調かつ戦略的にリリース、キャリアを重ねていく。テレビ出演もユーモアもあり、姿勢は丁寧で思い切りもよくどこか育ちの良い謙虚さがとても好印象だった。
そんなアーティストがアイドルに楽曲提供をした。
全国的に有名なアイドルグループはドーム公演も行い個々の活動も目立ちテレビでは誰かしら見ない日は無いまさに王道アイドルグループであった。
はーあ、売れ線に魂売りよったな。と延髄反射で思ったのは仕方がないと思える。
せっかくだからと聴いてみた、あーこれはーポップかつマニアックななんかすげーなと思った。
そのアイドルグループのことは全然知らんかったけど、聴いてたらメンバーのことがよくわかる。キャラクターとか関係性が。全員のバックグラウンドを元に当て書きされたメインパートがあるのだ。
グループ曲だとどうしても、この曲本当いい曲なんだけど推しのソロパートが全然ないんだよなーなんて悲しいことが無く、さすが丁寧な良い仕事だとますます好印象をもった。
そんなことを思ってから数年経ってしばらく、その曲を歌ったグループのメンバーが脱退するという。
とっさに思ったのが、えーあの提供曲どうなるのー?もう日の目を見れないじゃん。
だったあたりソロバンドへの贔屓が過ぎているなと思う。グループのファンに刺されるわ。本当他人への心配より自分優先。だからモテない嫌われる。休日もひとり。永遠にひとりぼっち。
そしてまた何も無い日が過ぎていった最近、なんとその元メンバーがソロで活動再開するという。
やっぱり提供曲も日の目は見れないかーと思いつつも。
なんの気まぐれか元メンバーについてツイッターを漁ってみたら、出てくる出てくるファンの狂喜乱舞するツイートにいいね。
そしてエピソードや画像、動画の数々をみて、ああなんと格好いい生き物なんだ。と心から思った。
歌っていても、喋っていても。圧倒的に目を惹くのだ。それは顔だけの魅力ではなかった。
今までアイドルはただ恵まれた容姿を武器にカメラの前でキメ顔作っていれば何もしてなくても女の子達に勝手にキャーキャー言われ、バラエティではちょっとピリついたもといイキった空気をまとって番宣に出ては事務所NGを盾に軽くしか芸人にいじられないようにイキり倒して振る舞うばかりだと思っていたけど、そんなものは全くの思い込みであった。
果敢にボケ、イジられ突っ込み破顔して爆笑し嘆き落ち込み怒り拗ねてみせる。そこにはリアクションや纏った雰囲気、発言の全てで視聴者、ファンを楽しませ魅了することのできる生粋のエンターテイナーがいた。
それはソロバンドがデビューした時にうわこの人すげー面白い、もっと見てみたいと夢中になったその時の気持ちとなんら変わりはなかった。
アイドルがアーティストと自称することでざわざわしたり踊って歌って音楽してますってアーティストと何が違うんだよ。とよくわからなかったが。アイドルはやっぱりアイドルだった。
歌っている様子を見て音を聴きつつもその姿形にどうしても目が惹きつけられてしまうのは、アイドル=偶像という宿命みたいなものなんだな、と初めて理解した。
本当に格好いい。
また両者がどこかで交流してくれたらいいなとちょっと思った。
容姿コンプレックスの肩の荷を降ろそうと思った話
最近、自分が不細工であることを受け入れつつある
自分の容姿に諦めがついてきた。または不細工であることを拒絶し続けることに体力が付いて行かなくなったのかもしれない
いざ不細工であることを受け入れると
蔑ろにされやすく生きてきた事を
ずっと容姿のせいにしていたように思える
底辺陰キャラは笑うことすら許されないと思って生きてきたし
発言権も存在もできることなら控えていなければならないものと思っていた
特に笑顔が不細工だったのもある
歯並びが崩壊してるし口元が溶け落ちてるような造形をしているし
当然コミュ障でもあるのでことごとく会話のタイミングがズレるため疎まれてきたことにも関係ないとは言えない
不細工は大きく二つに分けられる。
造形パーツが誇張された不細工と溶けかけた曖昧な不細工だ。前者はキャラクターやチャームポイントとして受け入れられやすいが、後者は人に強い嫌悪感を与える。
幽霊の正体見たり枯れ尾花という言葉があるように、花は花でも枯れてる花は受け入れられるが幽霊のような曖昧そのものの存在は人に言い様のない居心地の悪さや得体の知れない恐怖心を与えやすい。
せめて受け入れられやすい不細工ならどれだけ良かったことかと思って生きてきた。
今思えば人の価値は造形だけで測れるものではないのに本当に愚かだ。
社会に出ると容姿が優れている人への憧れは加速した。
優れた容姿のものへは周囲の態度も違う。
次に、それほどでもなくない?といった容姿の者が愛嬌でのさばっていくことへの嫉妬だ。こっちの方がさらに苦しかった。
当然自分よりもよっぽど容姿は優れているしコミュニケーションの優れてどんな人にも好印象を与えるステキな人達だったんだけど。
気の利かない不細工はまだ気付かない。
追い詰められた不細工は空想の世界へと逃げ込んだ。
ダイエットのビフォーアフターや、優れていない容姿から優れた容姿へと変化したことで周りの目が好意的なものへと変わったなどという巷に溢れる今思えば陳腐なシンデレラストーリーだ
自分もいつか変われるのではないかという過度な思い込みが始まる。
はじめは自分を慰め、前向きに鼓舞してくれたはずの情報の効果はそう長くは続かず
だんだん首を締めてくるようになってきた。
いつまで経っても理想の自分へと変われず造形不細工のままだからだ。
シンデレラストーリーの周辺には誰もが我欲にまみれた新しいタイプの地獄が広がっていた。
不細工には生きている価値がないというモラハラで煽る者。美しい者からのこれぐらいの努力は当たり前というパワハラ。デブは甘え。食わなきゃ痩せる。努力ができない者は綺麗になる資格はないという精神は、働けませんじゃないんだよ働こうとしてないだけなんだよ。休む暇があるくらいなら働けるだろうというようなブラック企業も真っ青な精神論とさほど変わりはなかった。
スタバ新作の一杯を飲むか否かが罪に問われる様はさながら放課後の学級会裁判を呈していた。
今なら、スタバのインスタタグ漁って見てみろよ。美容垢以外見てみろよ。みんな笑顔で新作スタバに笑顔になってるぞ。くらいは思える。
容姿を磨く努力教への入信。
透明な天井に頭を打ち付け続けているような日々に疲れ切ってしまったのだ。
全ては身の丈を知っていなかった。これからは不細工の自分と肩を並べてヘラヘラ生きていける気がしている。