緩慢に食を断とうとして失敗した話




ずっと頭のどこかで営みを終えなければと考え続けていた。どこに居ようと誰と居ようと居心地の悪さだけ感じてきたように思える。

もう全部片付けてしまおうと身辺整理を始めた。

最後に残ったのはは味噌と砂糖と塩とインスタントコーヒー。食べ物を無駄にしてはいけないという戒律だけ守って生きてしまったからどうしても45Lのゴミ袋に投げ込むことができなかった。今までもこんな風に全てを委ねたままズルズルと底へ滑り落ちていったように思える。

ほかには蛇口から鉄錆混じりの水道水が出るだけ。食料らしい食料が尽きたのが二週間前。動けなくなってからが一週間。

周囲を見渡しても頼れる人が誰一人いなかった。肉親も友達も知人もいない。


朝になれば自然と目が覚めた。

とにかく胃が気持ち悪くて仕方がない。不快感がこみ上げ吐くものがないのにえづいて仕方がない。水を飲もうと台所の蛇口までの一歩がフラフラする。よっぽど台所のフローリングに横たわろうかと逡巡するも白黒点滅する視界の中後退しどうにか布団に倒れ混むことができた。コップ半杯鉄錆混じりの水を流し込んだところで胃は収まりそうもなく再度もんどりうった。どの角度で横たわっても持って行き場がなく不快感だけがせり上がってくる。呼吸が早く浅くなる。ゲップを出すのも気持ち悪い。


昔教えて貰ったことを思い出した。戦時中の何が辛いのか、とにかく腹が減って腹が減って仕方がなかったこと。そう教えてくれた人はもう死んでしまった。今思えば自分にとってこの世で唯一敵では無かった人だった。

次に火垂るの墓を思い出した。栄養失調の幼な子。動けなくなってからもおはじきをお上がり。今なら分かる。あれは紛れも無い真理だったんだなと。


貧困へは簡単に滑り落ちる。当人の努力ではどうしようもならない深い底。

真面目に生きることと仕事の不出来が違うように、人智の及ばない範囲を運命と呼ぶしかないのだと思う。


ただもうとにかく楽になりたかった。全てを諦めているし何も望んでいない。何一つ享受するつもりもない。他人を押し退けるつもりもない。それなのになぜこんなにも苦しんでいるのだろう。楽になることが欲だというのだろうか。

最後の最後に現れたのは、空腹に囚われる欲望と苦痛から逃れようとする欲望か。いや、まさか、、

白黒と点滅し続ける目で底から宙を見上げた。