「若い時に失敗しておいた方がいいよ」を勘違いしていたことについて




若いうちになんでも挑戦して失敗したらいいよ的な言葉があって事あるごとに思い浮かんできてはその度に苦しめられてきたように思える。リアルで言ってくれる人は誰一人としていなかったが、ネットや自己啓発本で腐るほど目にしてきた。

なぜリアルで言ってくる人がいないかと言えば、仕事や受け答えが失敗ばかりだったからで。結果、自分から数メートル離れた位置の集団から聞こえるように言われてきた言葉の第1位はあいつなんでこんな簡単なこともできねえんだよになるから職場に行くのが辛かったし今でも辛い。



若いうちに失敗をすることを進める言葉を目にすると思うのは、若者の失敗が見たいとかサディストかよ。いやこれ以上失敗したくないし。どうせ失敗する様を見て勝手に機嫌悪くなって見回りに来た上司と馬鹿にした半笑いで目配せしあい喫煙所で今度の奴は使えねえなと吹聴して回るくせにお前らの前で娯楽提供するほどお人好しじゃねえわ。までが脳内をオートで流れていく。


違ったんだ。全然そんな言葉ではなかった。

前提が普通の人向けに作られた言葉だった。


普通の人はあんまり失敗しない。だから失敗前提でやらせてみても成功するから「ほら失敗しなかっただろ?思い切ってやってみると簡単にできるんだよ。」といい先輩ぶれるドヤ顔ワードに繋ぐことが可能である。落としておいて上げるいわゆる吊り橋効果にも似た成功体験の積み方だ。万が一教えてもらったことを失敗しても普通の人は成功に変えるまでが早いため、もう何回か挑戦させれば「今の感じいいよ、ほら出来るようになったじゃん!」まですぐに紡ぐことができる。

教える人はできることで育成し、教えて貰った人は新しい技術を習得できるし、おっなかなか使える奴だなと双方の自己肯定感はうなぎのぼり、WIN-WINで循環する理想の職場、ステキな世界だ。



自分一人が習得できず失敗を繰り返しその流れに乗れず、その上一般における共通認識を理解できていないだけだった。

素直に難しいことを考えずに言い訳せずにごちゃごちゃいわなくていいという指導員からの助言も別に言葉を湾曲して捉えているつもりでもなければ天邪鬼でもわざと遠回りをしているわけでもなかった。自分の経験則上、どうしようもなく失敗にしか辿り着けなかった。余計にタチが悪いから途方にくれる。

どうしたって独りよがりで協調性がないとみなされた。つくづく社会生活不適合だ。平日も休日も一人きり。ソシャゲだけが捗る。休日のショッピングモールは人口密度的に不快。



今も失敗した方がいいとは言えないが、挑戦はした方がいいと思うようになった。

でないと、今度は挑戦させてくれるんならしたいですよ。失敗を期待するオーディエンスさえいなければ出来るはずと言った思い上がりを加速させてしまうからだ。

このオーディエンスというのはありとあらゆる思考に応えて声を上げてくる。どうせ失敗する使えない奴は組織に必要ない早く辞めた方がいいと四六時中囁き続けてくる。

この声と対峙しては疲弊してきた。どうすれば宥められるのか、どうすれば不安感を抱かずに済むのか。と思っていたけど、この声は即座にゴミ箱に投げ捨てていいものらしい。

なにかを行動しようとすると必ずセットでこの思考が現れるものだからこの思考が妄想ということに気付いていなかっただけで。




普通は物事に挑戦すると

①挑戦しよう②失敗したな③ここ難しいな④こうやってみよう⑤はい出来た。

で完了するらしい。



自分の場合は

①挑戦しよう②失敗した③この前も同じ失敗したような④こんな失敗して使えない奴だと思ってんだろうな⑤この人は自分が嫌いだ、もしくは自分もこの人が嫌いだ苦手なんだよな⑥社会不適合者ですすみません⑦こんな奴は会社やめた方がいいんだろうな⑧いやまてよ、こうやってわざと失敗するように雑に教えられたな⑨みんなに早く辞めろと思われている⑩前にも自分がこうやったら出来ると思ってたことを他の人の邪魔が入って失敗したことがあるぞ

まで考える。



この考え方は被害妄想と妄想にまみれてしまっているらしい。

被害妄想は⑧。教えてくれたことに対し、他人を疑う。自分の失敗を他人のせいにもする。


妄想は③。過去の失敗と今回の失敗は別物にも関わらず、混同して考えてしまう。

④教えてくれている人の心理を勝手に過度に邪推する。

⑤失敗を好き嫌いにすげ替え。

⑥⑦今回の作業上の失敗と関係ない自身の反省

⑨周囲から対する評価の間違った思い込み

⑩今回と関係ない過去の出来事への志向の飛躍


被害妄想と妄想だったなんてこんなことがあるのだろうか。

ずっと自分で解決しなければならない重要なことと思っていたのに、全部が妄想だった。



よって脳内の声に囚われて行動する機会を逃すのは勿体ないとも言える。

手を動かした方がよっぽどいい。目の前の案件は何一つ片付いてないし間違いのままだから。




実際に行動した方がいいのは現状の限界値を知るためだ。

諦めたんだよこんなの失敗してできないんだよと思ったことに限って登板が回ってくることが多い。その時に、経験の土台があるとないとじゃ結構違う。

習ったばかりの問題が難しくて解けなくても他の問題を解いたり少し進んだ学習をした後に再度解いてみるとあっさり解けてしまったりすることもあるし。



しかしそれはそれとして、失敗した方がいいよというマイナス面のワードチョイスから伝えてくる人とはやっぱり相入れそうにない。